作成後記 2004年

              フーズデザイン加藤光夫             


ほっとゆだのスッポン

北上駅から北上線をワンマンカーでトロトロ行くと、秋田県境の手前三つほどに「ほっとゆだ」駅がある。ヒエや粟などの五穀を使ったせんべい「ぽんせん」工場視察で、良い温泉を予約したというので楽しみにしていた。ここの温泉はわずかにグレーががった色で、香りがあり。開け放した山側の窓からの冷たい風が湯気を撫で冷やして温度調整しているようだ。湯揉み棒を一寸法師の炉のように動かしてながらじっくりと浸かっていると汗がじんわり、最盛の紅葉がかすんできた、そろそろ上がらないと煮えてしまう。

高橋工場長が来て準備が出来たというので食事の座敷に行ったらでかい鍋が置いてある。普通の寄せなべではなく、浅めで光沢がある。何かただ者ではないなとちょっと覗いてみたらスッポンが丸ごと入っているではないか。慌てて部屋にカメラを取りに行く。何かの間違いではないかと震えながら写真を撮り、吃りながら「ななななぜ? どどどうして?」

ほっとゆだでは、温泉水を冷やしてのスッポン養殖を十年ほど前からやっているという。名物にしたいのだが、この地域の規模のままだという。でも、下手に拡大するよりも、小規模充実型の方が良いだろう。

京都のスッポンは「丸鍋」といって、身と縁側の上品な一人用スープだ。名古屋の名鉄グランドホテルの中華にはスッポンの縁側だけを使った料理がある。それが今日は二人で一匹分なのだ。たあっぷりのスープと身と縁側、それに表面をばりっと焼いて焦げ目をつけた香りのあるネギをゆっくりと楽しみ始めた。

だがしかし、ちょっと縁側が少ないような気がしたので「工場長! 最初にまとめて食べちゃったんじゃないダローな!」と言ったら「そそそんなことはありません」という、今日はお互い吃る日だ。

そこに来たのが何と「縁側の刺し身」。厚切りの皮と縁側が一体になったのがたっぷりと皿に乗っている。その横にはしゃきっとした新鮮高鮮度の湯葉まで置いてあるではないか! そうだったのか! 何とぜいたくな!

生姜と醤油をちょっと付け、口に入れたら、ぷるぷる食感に皮のしゃっきりが絡み合い、滑らかで華麗な味が舌と歯の間を転がりすべる。時間をかけて一切れ一切れを味わっていく、だんだん少なくなってしまう。ああもう無くなる。やっぱり無くなってしまった。

再び鍋に戻り、からだがしっかり温まり、汗が出てきたところに女将が来て「仕上げはおそばです、そろそろやっていいですか?」という。その言い方は、まさか、これから打つのかと聞いたら「そうだ」という、本当だろうか?

蕎麦は、清冽に冷えていて、風味濃く、しっかり歯ごたえで、騒々しい雑音とともに瞬く間に無くなってしまった。魯山人は「料理は感動だ」といっていたが、まさにそうだ。とんでもない山奥、紅葉と熱い温泉、スッポン縁側いっぱい、おまけに湯葉、びっくり連続でもうお終いと思ったらとどめの蕎麦。もう一回温泉に浸かり、アザラシ睡眠で翌朝起きたら、スッポン雑炊が出て来た! 04/10

旅館名は「萬鷹旅館」、電話0197-82-2304

http://www13.plala.or.jp/mantaka/

「このホームページを見た」と言ってもらえれば、宿泊費(一泊朝食付き)4500円(※夕食別)でOKだそうです。


真夏の桜

家を出て、右に左に五つほど角を曲がり、最後を左に折れるとゆるい坂の下に「井の頭公園」駅がある、3分ほどだ。吉祥寺から一つ目の小さな駅で、テレビドラマ「俺達の旅」の舞台にもなっていた平和で小さな駅らしい駅だ。この駅に吉祥寺方面から来た電車から降りる人はまばらだ、何しろ歩いても十分程度なんだから。

夏の熱い日に最終の角を曲がったら、駅前が満開の桜!?。その上、小さな売店まで臨時で出ている。

桜と紅葉の時季以外は静かであまり人など居ないのに、今日は人でごった返している。いったいどうなってんだと見直したら、駅前のブティックの横にカメラ部隊が居る。なんだ撮影か、ああびっくりした。かなり大規模だ。

ホームで電車を待っていたら、吉祥寺から来た電車から百人規模の人がどどーと降りてきた。またびっくりしたが、これも撮影だった。

数日後行ったらまだやっていた。セットが変わっている。有名な俳優は見かけなかったし、いったいなんの撮影なのかわからないまま、数日でまた静かな駅に戻っていった。あれは何だったのだろうかと、ずっと気になっていた。

先日テレビを見ていたら、見たような駅がいきなり出て来た、井の頭公園駅だ。あの撮影は大手生命保険会社のコマーシャルだったのだ。3ヶ月ほどで謎の時間は終わった。04/11


法善寺横丁

歌で有名なこの横丁に入ってすぐに、実に大阪らしい居酒屋がある。

この日は台風の影響で魚がなくて「あるのはハモぐらい」で、もちろん注文。目の前の木の香りがするまな板の上で「ジャリッジャリッ」と骨切りの美味しいサウンドが、まだ時間が早くて客が居ない店内に響く。「落とし」で出て来た切り身がデカイ! 梅肉を絡めて口に入れたら口内一杯になってしまう。加熱はトロッとした舌触りが残っている半生レアで、関西夏の終わりを仕上げる。次は鮎の一夜干しなのだが、これにサバの内臓の何たらをちょっと塗ってパリッと炙ってくれたのは、鮎の香りに珍味のかくし味応援の法善寺居酒屋風味。

目の前のカウンターの上に色の濃い鹿児島黒豚リブ・ブロックが転がっている。これは後ろ半分の脂肪の多いところが最高なんだ、と言ったら、切り取ってくれた。ブロックが階段状になってしまった。頭の部分だけ欲しい人もいるんだろうと気にしないで焼いてもらう。

「焼くの大好き」名人がグリルの横で石のようなものをがりがり削っている、「オーストリアの岩塩」だ。ステーキ状に焼いた豚肉をスライスして出してくれたが、その横にこの荒く削った塩が乗っていて、これを振りかけて食べる。噛むほど旨味が出る豚肉エキスが倍加。

何やら黒い魚の様なしかし蛇のような巨大な物体が丸まって転がっている。まるで法典のようだ。法善寺だからだろうか。これは琵琶湖のオオウナギ。少し焼いてくれ、全部はいらないから! と出て来たら、皮は香ばしくパリッと超薄せんべい風に焼け、身はふんわりやんわりジュジュッとジュースが染み渡り、しばらくしゃべれなかった。

カウンターの隅に身がついたままの魚の骨がある、魚のスペアリブだ。ちょっともらって齧りながら、シャブリのようなフランスワインをぐびっとやっているところに、肉の締まった軍鶏が出て来た! ああ、どうして満腹になってしまうのだろうか? 子供たちの小さいころに読んであげた絵本、熊のパディントンが呟くセリフ「どんなに楽しいことにも終わりがあります」を思い出す。

しかしまだしぶとくもう一つ、仕上げの茶漬けがある。このために小さな釜でつややかに炊いてくれたご飯の上に、サバをどうとかして一年間発酵熟成させた切り身を乗っけて熱いお茶をかけてかっ込むと腹が幸福幸福と言っている。ダイエットのために一杯だけと宣言したのに口はもう一杯と反対の反応。ああ法善寺横丁は美味かった。04/9月

萬割烹「美加佐」06-6211-6665


鶏攻め事件

鶏肉のメーカーが外食店を作ったから、そこでやろうという。いやな予感がした。こういうパターンは、自社の製品をたっぷり食べさせたいという意気込みのあまり、暴力的なメニューになることが多いのだ。

着いたら、総勢7人でコース料理だという、お任せだ、いやな予感は不安に変わった。

まず来たのが、ささ身湯引きの付き出し。ビールを飲みながら、おいしい刺し身なんて出てこないだろうなあ、と次を待ったら、2番目は鶏そぼろのサラダ。今後も鶏肉は来るだろうから、少し押さえ気味でないといけない。鶏肉以外に野菜が付いているので、それを食べながら、白ワインを選び出した。

ワインリストはバランス良く揃っているのだが、欲しいのは品切ればかりだ。店のデザインは良いので、ワインリストもデザイナーかコーディネーターがやったのだが、ワインを飲む客は開店後すぐに来なくなったのだろう。仕方なく存在ワインから選んだが、やっぱりたいしたことない。

3番目が来た、骨付きもも肉の照焼きだ。軟骨部分を外して齧った。ここならさっぱりとしておいしい。

残りを放っておいたところに4番目が来た、焼き鶏だ。塩ではなく、真っ黒で照りぴかぴかのタレがどっぷりと付いている、甘そー。これじゃワインは赤だが、結果はさっきと同じでまともなのは全て品切れ。存在中のを頼んだらしっかり冷えたのを持って来た。まるで黒ビールのようだ。冷やしてないのをくれと言ったら、そんなの無いという。仕方なく、グラスを手で暖め出したが、ここで反省をした。そもそもここでワインなど頼むのがいけない、こちらが悪いのだ。

しかし焼酎もワインと同じで、欲しいのは品切れ。適当に頼んで、オンザロックにして舐めたら水割りだった、薄いのだ。隣の奴は水割りにして「水だ」と言った。

もう帰りたくなったところにメインが来るのでテーブルの真ん中を開けて欲しいという、不安は最高潮に達し、恐怖に変る、そして来た、巨大なローストチキンが。ハサミ付きで、自分たちでむしれという。

もう食べたくないし見たくもないのだが、それでも食べてるのが居るので、無視して、隣と他店のおいしいものの話をしていたら。お食事が来るという。もう何も要らないのだが、ここまで来たら毒くわば皿までもで、怖い物見たさもあるから、帰らない。そして焼きおにぎりが来た。中に鶏肉が入っているかもしれないので、怖くて手に取れなかった。

この店で不思議なことは、この状態でも満席に近いのだ。オープンしてまもないからだろうか。一年後に来てみよう、存在しているかどうかの確認に。

ああ、腹減った、蕎麦でも食べて帰ろう。04/9


古き良きアメリカがアラスカに

30年ぶりのアンカレッジに着いてから、繁盛しているというスーパーマーケット「ニューサガヤ」に行ったら、駐車場がごった返していて、やっと空きを見つけて店に入ったら、中もかなりの混雑だ。昼時だったせいか、デリカテッセンコーナーが長蛇の列になっている。こんなに流行っている店は久しぶりに見る。

このスーパーの初代経営者は九州の佐賀県出身でこの店名がついたそうだ。

デリカテッセンコーナーには、典型的な米国料理に、イタリアンもしっかりある。寿司コーナーもあり、目の前で握りと巻き寿司を調理パックしている。カッパ巻きのキュウリが美味く、子供の頃井戸水で冷やして食べた味を思い出す。

ホットデリケースの下にはオートシャーム社のハローヒートオーブンが数台並び、ロースト、煮込みの調理は充実していると思ったので、クラムチャウダーを買ったら、これまた濃い旨味がでていて素晴らしい。昔のサンフランシスコで食べたまじめなクラムチャウダーだ。

横に併設されているイートインホールの前には、素朴に入れているコーヒーバーがあり、人気のエスプレッソも置いてある。50席ほどあるテーブルはほとんど一杯の状態。近くのアラスカ大学の学生も交じってにぎやかだ。

食肉売り場に行ったらまた感激。1キロもあるミンチの「バリューパック」、超厚切りの骨付きクラブステーキ、ティーボーンステーキ、リブステーキ、ポークスペアリブ一枚丸ごと、味付け未調理のコーンドビーフ丸ごと真空パック、ローストビーフ用ブロック、ステーキマスターで筋切りをした大判のキューブステーキ、とにかく20年前の米国のパワフルボリュームたっぷりの商品があるのだ。

その隣の魚売り場がまたすごい。十人以上順番待ちをしている中をくぐって商品を見たら、サーモン、オヒョウ、たら、マグロ、エビ、貝類など、鮮度抜群。さすがアンカレッジのオリエンタル系レストラン仕入れ先だけある。大型魚は顧客の注文でカットするため陳列は忙しそうに乱雑になっていて、それが活気のある魚屋になっている。

顧客の様子はゆったりとしていて、人生を楽しんでいるタイプ、素朴まじめタイプ、リッチだが鼻に全然かけないタイプなどの人びとで、せこいの悪そうなのアホなのは見当たらない。これも20年前の懐かしいアメリカだ。

すっかりうれしくなって町を走ってみると、安全な田舎町だった。あとでいろいろ聞いたのだが、この町は犯罪の問題どころか、モラルもしっかりしている。

あるとき市内の公園にいたずら書きがされていたので、何人もの市民が翌晩監視をして、落書き少年を見つけて捕まえた。翌日しっかり叱られたうえに、皆の見ている前で落書きしたのを掃除させられ、それが地元の新聞に書かれたという。

私が子供の頃、子供のいたずらを見つけると叱る大人がいて、地域の中でのモラル教育が自然に確立されていた。それがアンカレッジは町ぐるみで残っているのだ、うらやましい。最近の日本の惨状は、地域ぐるみの大人の監視どころか、親そのものが道徳無し、モラルなんて知らなく、ずるく、自分のことだけを考えるはんかくさい愚衆になっていて、子供はそれに輪をかけた状態になってしまった。親が親なら子も子だ。

アンカレッジの繁盛レストラン「サイモン&シーフォーツ」は湾が一面に見渡せ、夏季はいつまでもなかなか沈まない夕陽をゆっくりと楽しみながら、エキサイティングな顧客の観察と昔からの豊かさを守った味を楽しめる。

アラスカの富豪はやはり石油関係者が多く、彼らが住んでいる郊外丘陵からは、海と遠くマッキンレーまでも視野に入る。乗馬用の道が丘陵全体の道路の横に併設されているような町造りだ。この富豪の皆さんがこのレストランに集まってくるようだ。

厚さというよりも長さといったほうがいいような重量たっぷりのプライムリブローストを食べ始めたら、横のテーブルに品良くスポーティーなファッションで40代の夫婦が現れた。ご夫人の腕には、二百万円以上はするだろうピアジェの時計とダイヤの指輪がさりげなくされ、だんなは頭つるつる目は知性たっぷりと、若い頃のユルブリンナーのよう。席に座ったときから珍しい日本人の我々夫婦が気になっているようで、ニッコリ笑いかけてくれたり、家内の食べているビーフ照焼きが「美味しそうね」と、同じものを頼んでいた。話はしなかったが、この夫婦も含めて回りの顧客同士お互いに、良い人生を過ごしていてよかったね、といった雰囲気だ。

6時半頃からのんびりダラダラ食べていても、一向に夕陽にならず、燦々と輝く太陽の中で、9時頃にはすっかり良い気持ちになって、支払いをしたら二人で百ドル程度だった。ホテルに帰ってベッドに転がり込んだら、窓から見渡す空と海はまだまだ明るく、陽射しは強く、やっとオレンジ色の夕陽が沈んだのが10時半だった。ああ豊かなアラスカだった。04/8月

このポテトの中には美味しい皮も入れてある。美味しいものわかってます

アラスカの感動的な氷河だが、温暖化で急速に後退

はるか遠くに見える氷河は、1951年にはここまであった


ストックホルムの司法取引

もらう機会は皆無でも、会場は見れるから、ストックホルムに来た。歴史的な建物をしっかりと保存し大切にしている町で、授賞式会場と、受賞者が泊まるホテルを見て、ちょっぴりノーベル賞に近づいたあと、予約していたガムラスタンのシーフードレストランに行った。

最初に出て来たエビカニなどいろいろシーフードが乗ったプラッターが置かれたとき、ぷんと臭い、これは駄目だとわかったので、同行者にすぐにかぶりつかないように注意し、手長エビを慎重に食べたら肉に弾力がなく、腐るまでいってないが鮮度落ちで、こんなのは食べられない。無理して食べたら体調の悪い人は食中毒になってしまう。

ウエイターを呼んで、これはフレッシュではない、臭う、ノーグッドだと言ったら、プラッターの1枚をすぐに持っていった。待つまでもなくすぐにシェフと戻ってきて「これは昨日調理したものなので、スーパーフレッシュなのだが、顧客が満足することが当店の主義なので、全て戻す」といい、全てのプラッターが下げられた。昨日調理したものがスーパーフレッシュだという感覚に驚いたが、この臭いをかいでもスーパーフレッシュだということもわからない。

次にオーダーしていたのは、サーモンのマリネだが、これが良くてもプラッターの分はどうするのか、あるいは全てに対してどう店側がどう対応するのか、興味が出て来た。旅に出ると事件発生の確率が高くなる、また事件が始まった、面白くなりそうだ、わくわく。

サーモンマリネはまあまあなのだが、一人が「髪の毛が入っている」といったのでまた文句を言ったら持って帰り、しばらくしたら同じ皿を持って来て「さっきのは髪の毛ではなく植物でした」という。しかし同行者は「違うと思うけど・・・」間違いなく髪の毛だったという。

これで決まった、さっさと切り上げて他の店に行くことにした。

さあ、支払いはどうなるのか。

我々の感覚だと、プラッターにクレームがついたのだから、プラッターの分を無料にする、という対応を予想するのだが、全く違った。

「プラッタのグレードについてお客様は納得されていないことは理解した。しかし我々はスーパーフレッシュだと思っているので、プラッターの分は支払ってもらいたい。でも、お客様を不快にさせたので、サーモンの方を無料にしたい」という。

価格的にはどちらも同じなので「それで良い」と決着したのだが、この店側の感覚は司法取引的な面がある。コストの問題ではなく、プライドなのだ。

店側はスーパーフレッシュだと確信しているのに、顧客が文句を言った。

顧客の文句を拒否することは店のコンセプトである顧客満足度の問題が出る。

プラッターの分を無料にすると、スーパーフレッシュではないと認めることになる。

そこでプラッターの分はもらってスーパーフレッシュであることを認めさせた形にし、問題の無かったサーモンを無料にしたわけだ。とても興味深い決定だ。さっき店の隅にシェフやチーフウエイターが集まって真剣な顔で討議していたのはこのことだったのだ。

二度あることは三度ある。マーフィーの法則だ。同行者の一人がワインのラベルを集めているので、空のボトルを持って来てくれと言ったら「駄目だ」という。何でかと思ったら、ヨーロッパはどの国もリサイクルが進んでいて、例えばノルウエーの缶ビールの缶はデポジットする(戻す)と、1クローネ〔18円〕になる。1ダースだったら216円だ。ワインボトルもそうするのだろう、店の経営に影響するほどのレベルだ。

そこで説明をしたのだが、ラベルのコレクションという趣味がわからないウエイターで「いいからさっきのボトルを持ってこい」といい、ラベルはがし道具ではがし始めたらやっとわかったようで行ってしまった。

このラベルの「思い出コメント」は「トラブル発生の店で飲んだおいしいワイン」

さて、ガムラスタンにいくつか目をつけていたレストランのどれかに突進しよう。04/8月

ストックホルムはノーベル賞と古い船の町


カルゾーネとカルソォーネェー

ガムラスタンはストックホルムにある古い建物や寺院そのままの島で、エキゾチックな町並みと歴史が楽しめる。海に面したレストランで鮮度劣化のエビカニが出て来て文句を言い、すぐ引き上げて中央広場に来た。さあ、食い直しだ、魚なんかもういらない、肉食いたい。

中央広場の回りには6軒のレストランがある。まず混んでいる店に行ったらイタリアンだった。メニューにはしっかり肉があるが満席に近い状態。同行者は腹減って早く食べたい。そこにイタリアのいいおじさんタイプのオーナーが来たので、これは何とかしてくれると確信した。「イレブン!」といったら通じない。ここの言葉はスゥエーデン語、このおじさんは多分スゥエーデン語とイタリア語でやっているのだろう、仕方ないので、指を折り「ワン、ツー・・・」とやったら満面の笑みを爆発させて理解し、大丈夫いいから来いといい、大混雑の店内でテーブルとイスを動かして無理やり席を作ってくれた。イタリア人は大好きだ。

ビーフステーキ二種、ポークスペアリブ、チキンバーベキュー、ラムと、肉メニューを全て頼み、あとはスパゲティを2種、これはうどん代わり。女性軍はピザも入れてちょっとおしゃれに。

最初の白のハウスワインを頼んだら安いのにさわやかフレーバーで温度も冷えていてとてもいい状態。すぐに無くなりもう一本と言ったら、ちょうど無くなってしまったということで別のを持って来た。今度のは更に濃くなっている。最初のが無くなったのでハイグレードのを持って来てくれたんだろう、儲かった。

来た料理は全ておいしく、すごい勢いで食べ始めた。全部の肉を試したいから、皿が飛び交う。乱れ食い、回し食いだ。ワインを赤に替え、少し落ち着いた頃、同行者が「あれはなんだ?」と隣のテーブルを指すので見てみたらカルゾーネだった。カルゾーネはピザを二つに折って半月状になったのを焼く。ピザの巨大餃子型だ。同行者はだれも食べたことも見たこともないようので、勉強のため当然注文。

「おじさーん、カルゾーネ!」と注文するがわからない、発音が悪いようだ。隣のテーブルのカルゾーネはもう無くなってしまっている。イラストレーターに絵を書いてもらい「ピザを半分に折ったもんだよ」と言ったら、ケータリングに使うピザボックスを持って来た、確かにこれなら「ピザ」と「半分折り」のキーワードにヒットする。爆笑でイスから転げ落ちるところだった。メニューを持って来てもらって指差したら「アーーー、カルソォーネェー!!」。「ソ」に大きなアクセントを置くのだ。

カルソォーネェーが来た途端そのデカさで、写真撮影のラッシュ。ナイフでカットして分け食べる。ピザはオープンの状態で焼いているので乾いていってしまうが、カルソォーネェーは閉じているので、ジューシーさを長く保つことが出来る。表面パリッ、中はとろとろでレアなオムレツのようだ。クリーミーなフィーリングが口の中いっぱいに広がる。

良く食べたっぷり飲み、すっかり満足して外に出たら、中世の石畳がスカンジナビアの星の下に光っていた。04/8月

中世の路地裏

 

これがカルソォーネェー


ノルウエーの石油とオペラハウス

原油が高騰している。昨年の今ごろ22ドルだったのが、最近は40ドルを超えるまでになっている。

日本の報道では中東ばかり出て来るが、ノルウエーの石油産出量は世界で3位だか4位だそうだ。したがってここ数年の間にノルウエーにはオイルマネーががっぽりと入ってきていて、その金をどう使おうという論議があり、最終的にオスロにオペラハウスを建てることになった。

オペラハウスといっても、ただ建てるのではない、広大な地域開発だ。オスロの港はかなりの広さのコンテナーヤードと倉庫などになっていて、古く雑然としている。そこで、この施設建物を全て残らず引っ越しさせ、ノルウエー人がデザインしたオペラハウスをたった1つ建てる。道路などのインフララインはノルウエーの世界的技術のトンネル工事で全て地下に埋めてしまう。この港には、オペラハウスだけになってしまうのである。

外洋からゆったりと豪華客船がオスロに近づき、岬を回ったとき、広大な湾の奥にオペラハウスだけがある。そしてその背後には遠く雄大なフィヨルドが広がっているのだ!

この夢のような感動的プロジェクトはもうスタートしていて、オペラハウスのこけら落としが2008年に決まっているという。

2009年、オスロに行こう。できれば船で。04/8月

帆船の世界大会をやっていた


十日町の支那そば

キノコのセミナーで十日町駅に着き、改札を出てホテルの場所を聞いたら反対側だった。キャスターバッグをガラガラと反対側に行こうとしたら、駅員が追いかけてきて、駅の中の通路を通った方が早いと、通過券をくれた。親切でうれしい。初めての町の印象はこんなところから決まるものだ。

シャワーを浴びてホテルで教えられた魚中心の居酒屋に行ったが、期待通り駄目なので、すぐに切り上げ、さわやかな空気の外に出てぶらぶらしだしたら、裏通りに豪雪地帯らしい床を高く上げた歴史のある建物をいくつも発見。探検開始。

一階の窓の外側に幅10センチほどの板をすだれ状に何本も打ち付けた家があり、雪で窓が壊されるのを防ぐためだろう。二階まで雪が積もって、電話線につまづいて転んだという話も聞いた。春の雪解けには財布や金が雪の中から出て来るのではないかと聞いたら、そんな話は聞かないが、ハンコが無い預金通帳は良く出るという。しかしこれは多分嘘で、現金はポケットに入れ、預金通帳はハンコ無しで下ろせないから届ける、私ならそうする。

人通りが無いなと寂しくなったころずいぶん古い店を発見。造りは数十年前の居酒屋風で、雪で傾くのを店主の心意気がしっかり支えているといった佇まい。赤色が古ぼけて目立つ不可思議な店は「北京」。十日町の路地で昭和の中華が鈍く光っている。

ガラッと入ったら8人ほどのカウンターでオープンキッチン。昔よくあった頑固オヤジとかみさん手伝いの典型的なパターンで少年の頃の我がラーメン屋「かどや」を突然思い出してしまった。

「餃子と焼酎」をとりあえず頼んだら、頑固オヤジではなく、無口で愛想のよい御主人だった。「ひとつ?ふたつ?」と聞くので変だなと思ったが「ひとつお願いします」

親指よりちょっと大きめのを丁寧に焼き出した。餃子を焼くのは難しい、しっとりジューシーを残したまま、底は少し濃いめのきつね色にパリッと焼く。焦げが少ないとジトッとしてしまうし、焦げ過ぎたら餃子全体が硬く水分も無くなってしまう。底だけパリッ、本体しっとりふっくらだ。この技術は中学時代の「かどや」で習得した。

理想通り焼き上がったのを私の前に置くとき「最初はタレをつけないで召し上がってみてください」

半分かじってびっくりした、香ばしいのだ。餃子というのはある程度野菜臭く、あるいは肉臭いというのが当たり前で、それが餃子の味だし魅力なのだが、この餃子は全く違う。シュウマイのみっちりさ、上品な香港点心の風味、お母さん手作りハンバーグの親近感、ラビオリの気品、そんなものを小さく控えめに、豪力で練った皮に閉じこめてそっと出してみたようだ。うーーーこれわぁーーーう、うまい、と、思わずうなったら、御主人ニッコリ、何となく涙目にみえたような気がした。

大切に食べ出して後半になったら「タレも付けてみてください」と小皿を出してくれた。醤油、ラー油、酢の、シンプルなタレを付けたら、焼酎がますます美味くなり、2つの味を楽しめた。

いとおしく食べていったが残念無くなってしまった。だから最初に何人前か聞いたのだ。ここの常連は一人で二人前といった頼み方をするのだろう。前半の腹もあったので、追加餃子はあきらめて仕上げのラーメンに。ラーメンはいろいろなのがあるのだが、このような場合はもちろんシンプルに特別名がついていない「ラーメン」ひとつ。

ラーメンは澄んだ醤油スープで、麺は太くも細くもない当たり前の純朴な太さ、茹で具合もちょうどよい正統派、スープをすすったら「かどや」のラーメンがしっかりと再現されていて、目頭が熱くなってしまった。

汗拭くふりしてティッシュを使い「オヤジのラーメンの味だ、いや、これはラーメンではない、支那そばだ、そうだ! 支那そばだ!」と言ったら「そうですそうです」とまたニッコリ。「僕の子供の頃はラーメン一杯45円だった」と言ったら御主人「私の時は35円でした」

十日町の支那そばで数十年前に時間旅行した。外に出ても町並みはまだ同じ時代で、空は濃紺になっていた。04.7.20

この店は奥に座敷があり、続々と宴会の客がカウンターの後ろを横切って入っていく。御主人が大量多品種の料理を続々と作っていた。人気店なのだ。料理雑誌などにもいろいろ紹介されているのが壁に貼った切り抜きでわかる。

豪力手延ぎょうざ「北京」十日町市加賀町 0257-52-2375


フグの肝

神戸で冷たくフレッシュな水茄子刺し身、堺でヨコワのとろとろ刺し身、京都でハモづくし、福岡1泊目でアナゴの刺し身、福岡2泊目でとろけるような長崎サバの刺し身、福岡3泊目でナマコの肝、大分1泊目で伊勢エビのチリソース煮と、毎晩美味に出会い、長い関西九州巡業の最終ディナーは大分。真夏の大分と言ったらやっぱりフグで、それも「フグの肝あえ」とうれしいことになった。

別府インターチェンジを出て右に曲がり、自衛隊の駐屯地横を更に右に曲がると静かな住宅地に入る。別府市内から見れば山沿いのはずれになり、こんなところに料理屋があるのかと思ったら、小学校の前にその店はあった。

フグの肝はフォアグラを白くし、あるいはアンコウの肝をつややかに滑らかに、といったところ。女将の計らいで「舐めても駄目、触らないように」ということで本体を見せてもらい、写真も撮らせてくれた。

そのまま食べたら死に至る肝が、まるで御馳走のように料理皿に乗せられ、ハーブもあしらいに置いてあるのはなんとも奇っ怪な事態だ。カメラを構える手が小刻みに震えるよう。

毒は表面の薄い皮にあると言っていたが、この皮をむき、ボイルし、崩し、大量の塩を加えて3時間もみにもみ、ザルで濾し、氷と冷蔵庫で冷やして保管し、その他独自の手法で処理して、その日の夕に提供するという。(かなりのノウハウがあり、シロウトがまねすると死にます、絶対にやらないでください)

何でそこまでして食べる文化が出て来たのかの答えは簡単で「すこぶる美味」だからだ。この毒で死んだ人も昔は多かっただろうが、この特殊な美味しさのためにどれだけプロブレムがあったのかと思うと、人間の美味しさを追及する根性というのは大変なものだとつくづく思う。

フグ刺しに添えたフグ肝。右側にある練った肝と、左側は練らないで形を残した肝の切り身。これをポン酢に崩し入れ、フグ刺しにワケギを巻き、たっぷりと絡めて食べると、地獄を横目に天国に舞いあがる気分。

この後、骨付き唐揚げ、鍋、残ったスープで雑炊と、フルコースは続いた。終盤にさしかかってから、同行の一名は最後までこの肝和えタレを隠れるように大事に舐め続けていたのを発見、だからおとなしかったんだ。04.7.9

この震え上がるような魅味、魔味、珍味、妖味を味わいたい方は

別府、伊勢正 0977-23-5038


ビシソワーズと食べ放題

小倉駅前のセミナーが午後からで、昼食をどうしようか考えたのだが、朝食が遅くかなり量を食べたので、リーガロイヤルのカフェでちょっとだけにした。

早めに入って、オレンジジュースで原稿書いたり本を読んだりで粘っていたら、11時半からランチブッフェの客が続々ガヤガヤと入ってきた。大迫力グループがいくつもあるので見てみたら全て女性で、40から50代ぐらいと、30代前半のグループのパターンがある。それぞれが何度も料理の並べてある場所とテーブルを行き来しだしたので、静寂だったカフェが一気に騒然となった。「夕食減らせばいいヤン」「あ、サラダ忘れた」「カレーも食べよ」といったつぶやき、言いわけが飛び交い、のんびりしていられなくなってしまった。

マネージャーが通ったのでビシソアーズを注文した。横の30代3人グループの皿を見ると、ローストビーフ、サラダ、ご飯にカレー、焼きそば、スパゲティ、フルーツたくさん、飲み物いろいろ、パンは三階層ぐらいに山盛りで崩れそうになっている。夕食減らすのではなく、夕食分までまとめて食べるつもりではないか。その横で私はおしゃれでヘルシーなビシソアーズをコソコソ。

支払いでマネージャーが「ビシソアーズはいかがでしたか?」というので「美味しかった。しかし女性軍は良く食べるねー、ビシソアーズ胸張って食べられなかったよ」と言ったら苦笑いしながら「そうなんです、ヨーク、たくさんお召し上がりになります。ランチの後デザートブッフェも続いていますので更に拍車がかかります!」04.7.7.小倉


松江から倉敷へ

松江出張でどこか面白いところ無いかと、山口瞳の「温泉へ行こう」を読んでいたら「島崎藤村の部屋」などで文豪の宿と呼ばれる「皆実館」の朝食名物「鯛飯」が見つかった。早めに着いて、小泉八雲記念館など松江城周辺をぶらつき、たっぷり腹を減らし、咽乾かせて、皆実館着。別館でピーヒョロロ、鳶の鳴き声と夕景の中で、宍道湖八珍の半分ぐらいを食べて寝、翌朝の鯛飯に。ご飯の上に、鯛のほぐし、煎り卵、ネギ、刻み海苔などを乗せ、熱い鯛の出し汁をたっぷりとかけて、シャバシャバと。飲みすぎた翌朝食にはうれしい。

特急八雲で倉敷に向かうと程なく登りになり、中国山脈から日本海へ流れ出る川が広く、水清く、鈍足特急は景色の楽しみがある。次第に険しい登りになっていくと川は次第に細くなっていき、ヤマメの住み処から、岩魚の高度になってきた。源流あたりを見ることが出来るかと思っていたら、突然流れを見失ってしまった。きょろきょろしていたら、進行方向南に流れている清流を発見。頂上を越え、新しい流れが瀬戸内に向かいだしたのだ。高度が岩魚からヤマメになり、川は河に広がっていった。山陽に入った。

倉敷で美味い店はまだ見つかっていない、人に聞いても無いという、しかしそんなはずはないと探し回り聞き回ったら、日航ホテルのフレンチが良いという情報を得た。

夕刻まで古い商店街をぶらぶら。割烹着のおばあさんと木製イスの理髪店、ゴールデンバットやしんせいが売れそうな角のたばこ屋、石造りガラガラ引き戸の医院、波板ガラスに干菓子とまんじゅうの菓子屋、昭和丸ごとそのまんまだ。

たそがれが近づいて日航ホテルへ行くと、ホテルの中ではなく、お隣の保存されている屋敷の蔵を借りて改造してあるレストランで、ウッドの床がコツコツと、歴史の音が鳴るうれしい全面禁煙の小型店。着々と運ばれてくる料理は全て見事で、その中にアナゴとフォアグラの何だかかんだかというのがあり、この組み合わせたいったい何事なのかと半信半疑で待っていたら、フォアグラとアナゴが照りのあるグレービーソースでソテーされ、小さなサンドイッチ状になっている。このフォアグラはもしかすると低グレードなのかもしれないが、初めての新鮮さっぱり感覚、腹に優しくうれしい。これにアナゴがミックスされているなんて、実に瀬戸内倉敷のフレンチだ。

倉敷行ったら、ホテルは文化の香りで部屋の広い国際ホテル、ディナーは日航ホテルのフレンチ「八間蔵」、お茶はヨーヨー・マや棟方志功が訪れている「旅館くらしき」ですね。04.7.6


旅先の洗濯

出張先を関西方面とか東北巡業と称して一週間ぐらいつなげ、キャリーバック1つで行くので「洗濯どうするの?」と良く聞かれる。

私のキャリーバッグには「玉手箱」と呼んでいる小さなバッグが入っている。ひげそり、薬、つめ切り、ワインオープナー、歯ブラシなど旅行小物と、パンツと靴下1セットが入っている。ホテルに入ったらシャワーでパンツと靴下に石鹸を付けてバスタブに落とし、体を洗いながら足で踏み洗いをする。体も下着も一緒に済んでしまう。

体を拭いた後、パンツと靴下をタオルの上に広げ、くるくると丸めて絞ったら床に置いてトントンと踏むともう半分乾いているので、ハンガーにぶら下げておけば翌朝パリパリ。

あるときいったんホテルに入った後会食なので、シャワーと洗濯をしてから玉手箱のパンツと靴下を出そうとしたら無い! 時々出張最終日に洗濯をさぼってしまうことがあり、帰ってから入れ忘れると1セットの在庫が無くなってしまうのだ。

出かけるまで30分、どうしよう! パンツと靴下無しにスーツを着たら、パンツ無しは居心地悪いだけで済むが、靴下無しは見つかってしまう。洗濯乾燥につかわないでと書いてあるドライヤーを使うことにしたが、パンツを左手でぶら下げてドライヤーをかけると、全体に上手くかからず、靴下もあるので時間が足りない。そこでハンガーにパンツをはかせ、両端の空いたところに靴下をぶら下げてドライヤーをかけ出したら、クルクルと回り出した。これは良いと引き出しを出し、端に掛けて、ドライヤーを適正な位置に吹きかけたら、かなりの勢いで回りだした。パンツと靴下の風車だ。

約10分ですっかり乾き、何事もなかったようにディナーに出かけた。04.7.6


おしぼりうどん

月曜日、堺を出だしに、神戸、京都、名古屋と、桜とともに東に流れ、金曜日の夕方、長野市の隣にある上山田温泉にたどり着いた。展望風呂からゆったり流れる千曲川が180度見渡せ、対岸の山裾一帯は山桜が絨毯のように広がっている。地元の人はあそこに天狗が居るというそうだ。

先月セミナーで知りあった有志の皆さんと再会してのジョーク爆笑続出宴会で「仕上げはおしぼり行きましょう」という、何だかわからないけど美味しいもののようなので、ぶらぶら温泉街を歩いていくと、昔懐かしいゲームセンターだのストリップ小屋だのが残ってちゃんと営業をしているではないか。客引きが皆若い子なのだが「あれは客引きだけで、中に入ると全く違うんです」と、これも古風定番。

古い民家を改造したうどん屋に着いたらここだけ客でごった返している。「おしぼり」を人数分注文。「おしぼり」とは、地元の小型大根を絞った辛い付け汁「おしぼり」で食べるうどんのこと。

杜氏の使う大型ぐい飲みで地酒を飲んでいるところに「おしぼり」だけが先に来たので、ちょっと味見で飲もうとしたら「駄目です、無理です」というので、箸にちょっと付けてなめたら、強い香りと辛さが野分けになってぶつかってきた。

うどんが出来たというのでお膳の真ん中を空けるのだが、ずいぶん大げさに空けるなと思っているところに、山賊の宴会に使う様なでかい鉄鍋が来た。狸一匹丸ごと入るような白濁した煮汁の下に、たくましいうどんがたっぷりと、人生のように絡まりあい、熱さにもだえている。ひしゃくにうどん引っかけ爪の付いた竹道具でうどんと茹汁を一緒に「おしぼり」に入れようとすると、滑り落ちたうどんの飛沫が飛び散り、腕、ズボン、シャツにかかる、しかしそんなことにはかまっていられない、大騒ぎの末、やっとうどんが入った「おしぼり」に口を近づけると、熱辛い湯気が火山のように吹き上がり、鼻腔を経由して頭の芯を刺激する。

ゲホ、グォホ、ガホ、ガガッ、ッガッ、ブフォ、欧米の人がいたら逃げ出す行儀の悪いせき込みが鼻腔と声帯の構造により各人のサウンドとなって飛び出し、不協和音になって壁天井を震わせる。うどんをすするズズ〜という音は出ない、なにしろ息を吸うだけでッツガ〜〜ンと来るのだから、すすりでもしたら窒息する。ワサビを鼻先に持って来て息を吸い込んだらどうなりますか? すすらないので鼻水が・・・ 聞いてみたら、熱いほど辛いのだそうだ。

ああ辛い、熱い、汗が吹き出し流れて来た、これは体に良い、ああ、美味い美味い、地獄の美味しさおしぼりうどん。この刺激、一度味わってください。

丸善食品工業の皆様、工場は努力と工夫の結晶のようで、とても興味深く見学させていただきました。また、関係社の皆様もありがとうございました。楽しい長野の思い出が出来ました。04.4.10


カーネギーホールの現代音楽

カーネギーホールの二階右側のバルコニー席を奮発して、内田光子さん演奏、ラベルのピアノ協奏曲を聞きに行った。本当は安い席にしたかったのだが、いっぱいで、ここしかなかったんだけど。

活躍中の作曲家の現代音楽が最初に入っている。現代音楽は武満徹さんのを聞いたことがあるが、どうもわからず、なじみがなかった。

現代音楽特有の不安定さでスタートしてしばらくしたら、管楽器がオーケストラから離れた左上から響く。カーネギーホールは音響が特別良いと聞いてはいたが、それにしてもこんな離れた場所からこだまするものだろうか。進むごとに緊張が高まり、時間を忘れ始めた。そして今度はオーケストラと全く反対側、最上段バルコニー中央辺りから、弦、ハープ、管楽器がわずかにこだまし、更にその上から別の管楽器が控えめに入った。舞台を馬蹄形に大きく囲んでいるバルコニーの2階と3階に4つの楽器が入っている。こんな演出があるのだ。

最初はわずかなささやきで入っていたバルコニーからの反応は、曲が進むにつれて次第にはっきり発言をするようになってきた。オーケストラの後コンマ数秒遅れて、反応が来るようだ。私のいるバルコニーから見ると、右下に地、左のはるか上に天があり、地のうごめき、さざめき、叫びなどに対して、天が反応を次第に始めてきた。これはどこかであったことに似ていると思ったら、気が付いた。

まず、カール・セーガンの「コンタクト」、次に、太陽系を飛び出し、現在4万光年離れた恒星に向かっている惑星探査機「ボイジャー」、最近では火星探査機。地球と深遠宇宙のコミュニケーションだ。

この曲の作曲者が紹介され、大喝采の後、内田光子さんの演奏が始まった。クリアなピアノとクリーブランド管弦楽団の演奏は期待通りの素晴らしさ。終了した瞬間はじけるように拍手が飛び出した。内田光子さんは「何でこんなに受けちゃったのかしら」といった反応で、それを見て拍手は更に大きく、頭をがひざについちゃうようなぴょこんとしたお辞儀を何回も見てまたまたニューヨーカーは大喜び、スタンディングオベーションも出てしまった。

お客さんには、標準型の家1軒分にもなりそうな毛皮をまとったマダーム、イブニングドレスのマドモアゼル、ブリーフケースを持ったままのビジネスマン、アッパーイーストかウエストあたりに住んでいそうなきれいなおばあちゃんなどいろいろ。

カーネギーホールは、曲と耳、歴史と音響だけでなく、素敵な人の観察キョロキョロと、トリプルに楽しめる。このホールのシートはクラシックレッドとでも呼べそうな気品の良い赤に統一されているのだが、同じ色のネクタイをしている紳士も見つけた。今度行くときは私も赤いネクタイにしてみようか。04.2.13.

開始前の準備中(演奏中はもちろん撮影禁止です)


ニアミス?

九州から東京に帰る途中、飛行経路の地図を見ながら左側を見ていたら、愛知県沖辺りに来たとき、いきなり左前方から全日空のボーイング747型機が飛んできて、あっという間に下でさっと交差して行ってしまった。目視の大きさで、伸ばした手のひらぐらいの大きさに見えた。びっくりしてかなり近くに見えたのかもしれないが、機体の文字がはっきり見える距離だった。その後数日新聞記事を気をつけてみていたが、ニアミスの記事は出ない、あのぐらいの交差は普通なのかもしれない。これは昨年の夏か秋の出来事。

2月13日、ニューヨークから成田に向かうUA801便のフライトで、カナダと米国の国境上空辺りで、右の窓から外を見ていたら、斜め下をアメリカン航空のやはり747がいきなり現れて反対側に向かってすっ飛んでいった。

沼地が転々と広がる雄大な大地の上に白い雲がまばらに浮かび、その上を、目視の大きさで親指ぐらいだったのだろうか、垂直尾翼に大きく「AA」の赤とブルーのロゴマークがはっきり見え、飛行機雲を出しながらジュラルミンの機体を光らせていた。愛知沖での全日空機よりもかなり離れていたが、それでも反対側から逆方向に飛んでいったのだから、こんなに近くても大丈夫なのかと思った。

そのまま数時間が過ぎ、カムチャッカ半島の沖辺りで今度は右下に2本の飛行機雲を発見。右下前方を飛んでいる飛行機がいて、その後を追っているのだ。これはもしかするといいショットになるか。私の飛行機が追い越せば巡航速度で高高度を飛んでいる飛行機の画像と動画がかなりの近さで撮れることになる。

頭を窓にびったりと付け、カメラのスイッチに指をかけながら「追い越せ、頑張れ」と焦るが、全く追いつかない。飛行機雲はずっと見えているのに。機長はいったい何をやっているんだ、乗客にサービスしなきゃ駄目じゃないか、スピードを上げろ、なんて約30分以上やっていても、いつまでたっても同じ位置。窓から頭を出したいがそうもいかない。そのうち飛行機雲は下の方に回っていき、とうとう見えなくなってしまった。

残念だったが、これでしばらく楽しめて、日本が近くなった。しかし考えてみたら、最初に見たAAと後から見た飛行機雲は、ほぼ同じルートを反対方向に飛んでいることになる。大丈夫なのだろうか? まあぶつかっていないからいいか。

あと4時間ほどで、5℃に冷えたアサヒスーパードライ、そら豆、豆腐、カツオの刺し身、鯛頭の酒蒸し、マグロの漬け巻き、にゅう麺の待つ日本だ。よだれが出て来た。04.2.13


マンハッタンの焼き海苔

ニューヨークに疲れて着いたらやっぱり日本食、いつもの「鬼ケ島」に夕刻過ぎに飛び込んだ。ここの魚の多くははロングアイランドから持ってきている空を飛んでいない魚だ。マグロ、ヒラメ、ウニ等が旨い。日本からこちらに来て20年という姐さんは、由緒正しい日本語を話すのでうれしい。時々そこに「うっそー、まじー」なんて言うアホな客も交じることもあるが、ここの客の多くは正しい日本人と、行儀よいニューヨーカー、それに韓国、中国語も飛び交う。

早速アサヒスーパードライで、本日の刺し身をつまみ出し、適温の冷ややっこをつるりと吸い込むと、リフレッシュ。ビールがあっという間に無くなり、ワインへ。さて次に何にしようかとメニューを見回したら「焼き海苔」もある。オーダーしたのが着々と来るのだが、焼き海苔がなかなか来ないので聞いたら「すみません、失敗したのでやり直してます」という。いったいどうしたら焼き海苔を失敗するのか不思議だったが、気にせず待っていたところに小箱が来た。

「これか!」と、すぐにわかった、まさかマンハッタンでこれに出会うとは思わなかった。上蓋を取ったら、黒光りする海苔が数枚乗っている。そしてこの中蓋を取ったら、やっぱり、下には盃に入った小さな炭がちろちろと。これで海苔をわずかに炙(あぶ)り、パリッとさせているのだ。これに出会ったのは数年前、上野池ノ端の蕎麦屋「薮」だった。

1枚つまんで口に入れたら、ほんわか暖かくて気合いが入っているのがパキッと割れ、舌にひっつき、上顎との間でしばらく遊んでいると、風味がじわじわと広がってくる。そのままごそごそやっていたらくっつきっぱなしになってしまったので、舌先でこそげ取り、とろとろなめていたら無くなってしまった。次の1枚は三つに折って重ねて噛んでみると、パリポリと崩れて、こんどは乾いた風味を楽しめた。

焼き海苔は1枚のまままず火で両面をふわふわと炙り、それをカットしてから箱に入れる。「失敗した」といっていたのは、最初の炙りかもしれない。と推測した途端、子供のころ、ガスの直火で海苔を炙り、はじっこをかじって叱られたことを思い出した。炙りたては美味しいのだ。

仕上げの「かけそば」ですっかり落ち着き、マンハッタンの最初の睡眠に転がり込んだ。04.02.13


寄居の料理屋「喜楽」

埼玉県の寄居に農業団体の研修センターで三日間のセミナーがあり、最初の晩は懇親会があって面白かったのだが、二日目は飲酒なしの食堂での夕食だというので「シャバに行ってくる」と抜け出し、タクシー運転手お薦めの小料理屋に行った。

寄居じゃいくら美味しいといってもたいした期待は出来ない、取りあえずマグロとタコの刺し身を頼んだ。タコなんかどうせボイルした切り身だろうとあきらめていたところに来たのは、透明の鮮度抜群の刺し身で、マグロも素晴らしい。こういう期待外れは良いもので、改めて店内を見回したら、人形師の展示がしてあったり、コンサートの案内があったり、ONKYOのスピーカーから素敵な音楽が流れ、二組居る客の話を聞いたら、落語などの庶民芸能の話をしているグループと、大英博物館での絵画の展示がどうのこうのといっているグループで、なかなか文化的なのだ、寄居なのに。

麗人の女将は20年前に熊本から嫁に来たという。文化芸術が好きで、バイオリンの天満さんを呼び、数十人の参加者と割り勘にして楽しむような活動もしているのだ。小澤征爾親子、旅などの話をしていたところに、一人でふらっと入ってきたおじさんが、いきなり話に飛びついてきた。釣りが好きで東京から寄居に移住してきたのだが、何にも面白いことが無いので、がっかりしてきていたところに、自分の好きな音楽の話をしていたので、地獄に仏だったのだ。04.1.30

寄居に行ったら「喜楽」http://www.yorii.or.jp/~kiraku/


ジャーニー 03/11/13〜21

1日目 オショロコマ

目的地に行ってすぐに帰ってくるのは「トリップ」で、まあ「出張」でしょう。いくつか周回するのは「ツアー」で「旅行」といったところ。目的を決めずに長い間旅をするのが「ジャーニー」で「放浪」。西オーストラリアの田舎リゾートでのんびりし、次の町にそろそろ行くからと支払いをしたら「ハブ・ア・ナイス・ジャーニー」と言ってくれた。「住所」「家」という拠点を持たないで流浪生活をするのが「ボヘミアン」で、ジプシーは千年前からこれを続けている。米国の貨物列車にタダ乗りしてホームレスやってるのは「ホウボウ」といって、日本語の「方々」から来ていると聞いたことがある、美味しいものに縁が無いので「ホウボウ」はやりたくない。

北海道と東北の仕事が週末をまたいだので、仕事と公私混同8泊9日の、気分的にはちっちゃなジャーニーをすることにした。ジャーニーには美味しいもの、地方の特産を入れなければならない。

釧路でセミナーがあり、羽田発の全日空便で出発、翌週が私の誕生日なので「バースデー割引」1万円のチケット、豊かな気分。釧路のセミナーが終わったら特急「おおぞら」でトマムへ。

トマムは帯広と千歳の間にある山岳リゾート。日本でいちばん寒いと言われている占冠(しむかっぷ)のそばで、倒産しそうになりながらも何とか持っている私の好きなところ。日本一過疎の町「金山」もこの近くだ。不景気なうえにいちばん暇な時期を楽しもう。

とっぷりと暮れたトマム駅に降りたのは私と1組のカップルだけ。迎えのバスに乗って4本のタワーホテルに近づいたら、電気がついている部屋は一つも見えない。私がタワー1に入って一つ灯き、カップルが入るガレリアの方にしばらくしたら一つ灯くことになるのだろう。

今晩は和食「三角」に予約を入れ、いそいそと行ったら私だけで、しばらくしたら中年夫婦一組が喫煙席に入っていき、もうしばらくしたら60歳ぐらいのおじさんが私のいる禁煙席に入ってきた、合計4人。

この夕食での逸品は「オショロコマの刺し身」。この近くの然別湖に棲む天然記念物で、養殖版。岩魚かヤマメかニジマスかといったところで、トロッとして、甘味がある。北海道の山奥の清楚で張りつめた香りがする。支笏湖のチップも同じような種類なのだろうか? 釧路湿原や千歳の近くの湿原にいるイトウなどは清流魚の王様で、北海道には幻想的な魚がいろいろ。

2日目 十勝牛

トマムは数千人滞在できるリゾートだが、今は台湾からの小さな団体客を別にすれば、まともに居るのはおそらく数人だろう。豪華な静寂の次の日はプールに行くことにした。人口波設備がある巨大屋内施設で、ここのサウナ、屋外プール、スチームバス、ジャグジーバス、長時間のんびり対応低温サウナで午後いっぱいを過ごす。

巨大なガラスの外は、秋が終わり、あとは雪を待つだけ。凄烈な青空で、本を読みながら陽がゆっくり移動し、藍色になるまでの時間を楽しんだ。「ここには時間がたっぷり詰まっています」と、グランドキャニオンを表現したアナウンサーがいたが、そんな気分。客が何人いるのか時々チェックしたが、二組のカップルだけだった。そのうち一組は昨夜私と駅に降りたのだ。

この日は洋食「カメリア」にすることにした。安藤忠男さんが設計した「水の教会」を見下ろすロケーションで、ひとりでステーキをのんびり時間をかけて、という作戦。客はプールに居た一組のカップルだけ。

私の好きなタイプの牛肉は、霜降りたっぷりの和牛ではなく、赤身の味しっかりタイプの牛肉。オーストラリアのグラスフェッドビーフなんか、しっかりとあごを使って噛みしめ、かめばかむほど美味しくなる硬さと香りなど素晴らしい、おまけに安いのだから。

というわけで今日の逸品はもちろん北海道の「十勝牛」。結構柔らかく、味も濃く、しかし脂肪が少ないのでさっぱりしており、すっきり白ワインで長時間楽しめる。こういうタイプの牛肉は、ナイフで小さめの一口大にカットしたら、数十回、肉の味を噛み出すのだ。どんどん口の中で味が出て美味しくなり、気がついたらそんな気はないのに自然に腹に消えてしまう。そしたらワインを飲み、次の一口をまた迎えるのだ。

3日目 ホッケの開き

トマムの三日目は、帯広に住んでいる友人が昼頃来た、数年ぶりだ。そこで一杯やりながら昼飯に。場所は再び和食の「三角」。

今日の逸品は「ホッケの開き」。とにかくでかい、大きな皿に乗っているがそれでもはみ出している、このデカさ、雑さ、豪快さ、安さこそ北海道代表にふさわしい。

ビールからワインへと乗り継ぎながらホッケをつまんでいると次第に身が無くなってきた、しかし美味しいのはこれからだ、頭を突っつきだし、無くなると今度は縁側部分で、小骨もいとおしくかじりながら二本目のワインに続いていく。骨と皮だけになってしまったところにウエイターが来て「下げますか?」というので、とんでもない、皮が美味しいところで、このクライマックスを乗っ取られたのではたまらない、慌てて覆いかぶさり「ダメ!ここが美味しいの!」と拒否したらとてもうれしそう。

友人が帰り、夕食のための体調準備で一眠りして起きたら7時。今晩は中華「桃李」にする。一人で中華なんてつまらないが目的はラーメン、この本格中華レストランにラーメンなどもちろん無いが「五目つゆそば」があり、標高千メートルの山岳リゾートからはるか下界の庶民の味「ラーメン」を味わう、というか、欧米旅行中にてんぷらうどんが食べたくなる気分。酒は紹興酒の八年もの、濃い。客は数人の家族と、また出会ったカップル一組で、今回の滞在中いちばんごった返していた。

4日目 トンブリ

三泊四日のトマムが終わり、客が居ないので支配人が駅まで送ってくれた。もともと駅員なんていないのだが、客も居ない、ホームには私一人、冷たい風の中に人恋しく立っていたら3分遅れでやっと列車が来た、結構乗っている、久しぶりに10人以上の人間がまとまっているのを見た。

夕張を通り、千歳空港に行き、トマムで無くなってしまった本を数冊仕入れ、日本エアシステムで花巻空港まで、もちろんバースデー割引1万円。空港から北上駅に行かなければならないのだが、どうしたら良いかわからず、バスチケット売り場に行ったらすぐ出るところ、700円。中途半端なバス停留所1番に行ったら空港リムジンではなく乗り合いバスがおばあさんを一人乗せて来た、これは面白い。

北上駅からは「日本の背骨」と呼ばれる奥羽本線の横手までを結ぶ「北上線」、二両編成のワンマンカーでトボトボ、温泉のある「ほっとゆだ」駅からタクシーで「湯本ホテル」へ、やっと着いた。支配人が「今日は貸し切りです」。客は私と遅く着くという明日の仕事の関係者一人だけ。「歓迎」の看板に我々二人の名前が寂しく書いてある。

透明な良い温泉は当然一人だけ。この晩のために午後からお茶水分いっさい取らず、湯にじっくりと入って更に汗を絞り出し、腹も飢餓状態に持ち込み、6時の夕食に突入する。

生ビールを立て続けに二杯飲んだら、細胞にじわっと水分がしみ込んでいくのがわかる、ああうまい。ほっとゆだは岩手県と秋田県の県境にあり、北に駅二つ行くと秋田県。秋田名物は「ハタハタ」やたくあん漬けをスモークした「燻りがっこ」などが有名だが、この日の逸品はこれも秋田名物「トンブリ」。箒(ほうき)草の実で「丘キャビア」とも呼ばれ、見た目はキャビアそっくり。こりこりしゃきしゃきして「さっぱり珍味」といったところ。

誰も居ない旅館で、一人で力いっぱい飲み食べ騒ぎ、腹がずっしりと重くなったのでもう一度温泉に浸かって体重計に乗ったらだいぶオーバーしている。この秤は壊れていると判断、翌朝女将にクレームをつけることにして快眠に入った。

5日目 キンキ

ほっとゆだに来たのはぽんせん工場があるから。「ポンセン」は、米や雑穀を加熱して「ポン」と爆発させてくっつけ「せんべい」に加工した、いわば雑穀せんべいだ。最近のアレルギー対応で米を使わない製品が多いようだが、塩も醤油も何にも調味料を使わず、ただ単に雑穀だけを原材料にしている。食べると雑穀お菓子だから、薄い穀類の味がして、じつに素朴だ。

何でこんなところにぽんせん工場があるかというと、この岩手県のはずれから秋田県にかけての地域で、昔からヒエ、粟といった雑穀の生産が行われてきており、時代に取り残されたまま雑穀の生産を行ってきたところ、今では逆に雑穀ブームになって、結構新しい機械を入れたりして操業をしているのだ。ディズニーランドで販売するミッキーマークのぽんせんまでつくっている。

午後この工場を見たあと、また昨晩の温泉旅館に行き、再び渇きと飢餓状態に。今晩は工場の人も加えて何と三人もの人で宴会だ。この日も貸し切り。

この日の逸品は、この山中でなぜなのかわからないがどうでもよいともかく大好物の「キンキ」塩焼き。キンキは高級魚で居酒屋で食べると安くても2500円、高いのは4千円にもなる。この旅館の料金は一泊二食付きで8000円なのだが、今晩の多種料理乗せ旅館型ご馳走盆の一つにこのキンキが入っているとは、いったいどういう価格構造なのかわからないが、感激。

キンキは頭が大きい。まず、ほっぺたをほじくり、目玉と周りをまとめて口に入れ、ヌルヌル部分をジュルジュルとしゃぶり、白い目玉部分と薄い目の回りの骨をかさかさにしたらペッっと吐き出し、ひっくり返して反対側も同じようにし、今度は口の周り、おでこと眉間部分、ぱりっと焼けた皮とエラ部分もかじると頭が全て消滅してしまうので、今度は胴体に行く。中休みのように白身の胴体部分を食べながら、時々背ビレ部分に浮気をする。鋭くとがった背ビレの一本一本にはわずかずつ肉がへばりついていて、けがをしないように注意しつつかじり取る。胴体白身一口に対して背ビレ二本ぐらいのバランスでやっていると寡黙になり「ピチャピチャ」という音だけの至福の時間が過ぎる。

6日目 牡蠣のスープ仕立て

体重計は壊れているがとても楽しめる温泉二泊三日を終え、再び北上線に乗るのだが、行き先は南へ戻らず反対の北へ、横手に着き、ここで2時間近くの待ち合わせのあと、奥羽本線でガタゴト新庄へ。山形新幹線に乗り換える。ずいぶん久しぶりに近代的な駅舎と列車を見た。右にどうどうとした月山を見ながら山形駅経由し米沢到着。この日は牛肉工場の仕事。

米沢の夕食はいつもの「志乃」で、もう何年通っているだろうか、座るとオーダーしなくても季節のもの、好きなものが、適量、よいタイミングで出してくれる。浮気はしないほうがよい。

この日の逸品は二つ、牡蠣のスープ仕立てとニシンだ。ここの牡蠣は特に素晴らしい。松島湾には大きな川が二本勢いよく入っているところがあり、ここに陸からのミネラルが降り、おいしい魚介類が取れる。この場所の牡蠣は昔から行き先が決まっていて、一般のマーケットには出ないで、まっすぐお得意の料理屋に行く。この牡蠣をレアにスープ仕立てにしてあるのだ。ミネラルの塊が暖かく口に入り、腹に溶け込んでいくのがわかる。

7日目 ゲソの漬け

米沢を後にしていったん南へ向かうが、まだまだ東京には帰らず、福島経由して、東北新幹線で再び北へ流れる。盛岡だ。セミナーが二つあり、二泊楽しめる。

盛岡にも毎月来ていて、いつもの店の一つは寿司の「横綱」。この店も私がガラッと入っていくと大将がニッコリ、座ると私の好きなの、その日の珍味魔味美味をそれこそ一切れずつ出してくれるのだ。今日の美味はイカゲソの漬け。まだ吸い付かれそうなゲソを数時間前に漬けたばかりで、ちょっと早いかやっと食べごろに入ったかと行った微妙なところで、活と漬けの境目と行ったところ、魔味に近いかもしれない。

この私の誕生日の入る週は同時にボージョレーヌーボーの週で、今日は前日、明日発売になるので、まだうわさ段階の情報を交換する。ヌーボーはこの4年ほど続けて素晴らしい年が続いているのだが、今年は今までの中で最高だという情報が来ているのである。明日を楽しみにしながらシャルドネを飲む。

8日目 かけそば

盛岡のもう一つの店は「浜や」で、冬場にここに来たら生ガキ、白子(このあたりでは白菊と呼ぶ)、アン肝の三点セットをまず食べ、それからその日のお薦めを選ぶのだが、この日は何と言ってもボージョレーヌーボーで、大将に「買ったか?」と聞いたら「買いました!」。「飲んだか?」と聞いたら「まだです」。「バカモノ、まず自分で飲まないと客に勧められないダロー」ということで、抜いて一緒に飲んだら、うわさは本当で、今までで最高の出来だ。ちっちゃなジャーニーの最終に、盛岡で、フランスの香りを、三陸の海の幸で楽しむ。

でもこれで最後ではない、腹の余裕をほんの少しだけ残して「では、仕上げに行くから、勘定」 ヨタヨタと50メートルほど歩いた「かしわや」に行く。四半世紀通っている蕎麦屋で、もちろんかけそば、濃い蕎麦の風味を味わい、ペンギン状態になってホテルにたどり着いて、長かったジャーニーに終わりを告げた、明日は久しぶりに東京だ。

9日目

夜、東京着、風呂に入ってパジャマ状態でいつものつまみで飲み始める。ここでいつも思う「やっぱり家が一番」 03/11/13〜21


株式会社 フーズデザイン 加藤光夫