S=スローフード

2013/05/24 2:02 に 松本リサ が投稿
ファーストフードに対してのスローだ。ファーストフードが急成長してきており、全世界に広がってきている。この動きに対して、健康に悪い、食文化を台なしにしてしまう、ゆっくり食べよう、ナチュラルな食材を使おう、添加物はいやだ、昔の味、昔の美味しさに回帰しよう、忙しい時代だからゆっくり料理してゆっくりと食べよう、お袋の味を見直そう、といったコンセプトなのである。

スローフードというのは人々の見方考え方だと思っている人も多いのだが、実は本部はイタリアのブラ(BRA)にある、NPO(非営利活動)なのである。1986年設立なので、歴史がある団体、日本にも支部がある。この協会には75,000人がいて、年に一度、イタリアのトリノ市で、食の祭典「Salone del Gusto」を開催している。協会では単にファーストフードの対局の言葉考え方としてではなくて、以下のコンセプトをうたっている、

1. 消えてゆく恐れのある伝統的な食材や料理、質のよい食品、酒を守る。

2. 質のよい素材を提供する小生産者を守る。

3. 子供たちを含め、消費者に味の教育を進める。

となっている。

こうした考え方には賛同する人が次第に急増してきているようだ。世の中の流れを見て、そのよろしくない大きな方向に対して、抵抗する、反省する、直そうとする、自分は別だとする、何とか出来ないかとする、だめなことに気がつく人を増やそうとする、といった動きをする人々も急増してきているのである。遺伝子操作食品は科学的には正しい正しくないという議論とは別に、自然でない方向なので、生理的に嫌がる心理もそうだし、BSE(一般的には狂牛病)は自然の食環境を崩したところから、つまり「共食い」から来ているということを知ると「ああ、やはりそうか」となり、自然が良い、ということになる。

食べるもの、食品やメニューそのものだけではなく、文化という面、都市デザインというところからも憤りを感じることが多い。歴史のある、落ち着いたたたずまいの町に、いきなりファーストフードがなだれ込んできたら、住んでいる人はどう感じるか、である。以下は、著者の個人的なエッセイ(駄文!」から、ドイツ、フランクフルトの隣の町アッシャフェンブルグでの体験であるが、このような状態で腹が立った例である。


列車で駅に着いたら夜の10時で、この時間だとこんな田舎町ならどこも閉まっていてもう美味いものにはありつけないダローな〜と考えつつホテルに着いたらバーがあり、この町の若者がまるで全部この小さなバーに集まってきたのではないかと思うほどの大混雑。バーテンがキビキビと動くビヤサーバーの前に何とか斜めに入り込んで全くブランドがわからないビールを指さしオーダーしたら、やはりドイツで、美味くコクのあるビールに当たった。約10秒でのどが満足したのでつまみメニューを見たら理解できないので眼鏡を外してよく見たら当たり前でドイツ語だった。英語のメニューは無いのかと聞いたらやっと探しだしてきて牛肉細切り炒め生野菜サラダなんていう意味のところをまた指さしたら、今度はウエイトレスが読めないので、元のドイツ語のメニューと照らし合わせてやっと通じた、英語が通じないところに来てしまったのだ!辛口の白ワインを注文するのに(ドイツの白ワインはほとんど甘口なので)また少し手間取ったが素晴らしい白がこれも超大盛りで来て満足満足。

感激は翌朝も訪れた。早く目が覚め、また腹が減ってしまったので、今度は朝食がどうかなといそいそとレストランに行ったら、早すぎてまだ一人もいない。ビュッフェ形式の料理が並んでいて、ドイツらしく大判のハム、ソーセージが、かなりの種類並んでいる。4種類ほど取ってきて食べてみたら何と全部が絶品なのだ!ドイツの肉屋は朝早くから開店していて客も開店と同時になだれ込んでくるという話を聞いたことがあるのだが、なぜかこれでわかった。まだ誰も来ていないのを幸い駆け戻り、ウエイトレスに叱られないようにひっそりと全種類のハムを皿の上に乗せてテーブルに帰った。

朝食後三度目の喜びが待っていた、駅に行こうとしたら、朝市をやっているというので、ちょっとのぞいてみたら、食品と花の店でにぎわっている、客はメルセデスなどの高品質のドイツ車が多く、ちょっとおしゃれをして、週末の買い求めといったところで、青山の紀伊国屋とまでは行かないが生活に余裕のある顧客が集まっている。その横にこのまま日本のどこかの町に持っていったら巨大美術館になってしまうような立派な歴史的な建物があり、その下には緑豊かな森の中を川が流れているのではないか、どうしてこんな夢の様なところがあるんだろうと下を見たら、朝市に来た人たちの駐車場があり、市場で買い込んだ食材をご婦人方がこの中世のような絵の中で運んでいるではないか。ここの住人はこの環境が当たり前なのだ、何とぜいたくな!(01.5.19.アッシャフェンブルグ)


といったところなのだが、事件はこの直後に起こった。朝市からタクシーに乗って駅に行く途中、こんな素晴らしい町にマグドナルドだのケンタッキーフライドチキンなどのファーストフードが店を出したらとんでもないことだ、暴動だ、ある訳ないよな、あってはいけないよな、と考えつつ駅に入ったら、何と駅前にこの2つの米国製ファーストフードチェーンが並んで存在していたのである。がっかりした、腹が立った、残念だった、なぜこの町の人はこれを許したのだろうか、少なくとも看板を目立たないように出来なかったのだろうか、そんなことも出来ない住人ではないはずだ、きっと大問題になったあげく、結局パワーで押し切られてしまったのだろうか、誰も買わなければそのうち出て行ってしまうだろうになぜ買うんだ、となった。

これは、都市文化の面からのスローフードの誕生になった一面だと思う。

さて、皆さんはどう思いますか?
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